40th Anniversary | 40周年記念特集

「断捨離始めました」

 皆さん、お元気ですか? 来生たかおです。
 掲載は、今年1月以来になるかと思います。間が空いてしまい、大変恐縮しております。
 季節は、もう晩秋を迎え、16日で小生60代最後の年に入ります。来年は70歳、古希ですよ。もう、どうしましょうか。
 さて、8月から断捨離を始めたのですが、今の来生宅は、もう40年近く住んでいますので、処分するものが、結構、膨大にあります。腰は痛いわ、膝は痛いわ、息切れも甚だしい。また、昔の雑誌や写真などが出てきて、つい追憶にふけったりしてしまい、遅々として進まず、もっと前からやれば良かったと、つくづく思っています。それでも半分くらいは片付いたでしょうか。あとは、また来年やろう……。

 小生は古い日本映画が好きで、よく観ているのですが、一つ、ずっと気になっていることがありました。映画の冒頭、配役名が流れると、だいたい3〜4ブロックあたりに「浜村純」という名前が出てくるのです。「ハマムラジュン」というと、司会やラジオDJなどで活躍されている関西の方が思い浮かんでくるのですが、こちらの「ジュン」は「淳」。あの浜村淳さんは、実は役者もやっているのか? そう言えば、映画にも大変精通されていて、映画評論もされていた。きっと「浜村純」という名で役者をやっていたのだと勝手に推察しておりました。映画の中では、それらしき人物を見つけることができなかったのですが、若い頃は風貌も違うだろうし、もしかしたら気がつかなかっただけかもしれないと。

 最近になって、また映画の冒頭で「浜村純」の名前を目にしました。山田洋次監督の「息子」です(大変素晴らしい映画なので、お勧めします)。今度こそはと注意深く観ていたのですが、結局、「浜村純」とおぼしき人物は現れず、「いったい、この人は誰なんだろう」と、一層、思いが深まってしまいました。そこでネット検索です。もっと早く調べていたら、とっくに判明していたんですけどね。ともあれ、写真が出てきました。背が高く、痩せていて、目がギョロリとしている役者さん。この方なら、これまで幾度となく拝見しています。「嗚呼、そうだったんだ」と、やっと顔と名前が一致して溜飲を下げることができ、小生にとっては有意義なひとときとなりました。

 

 話は突然変わりますが、こんなお話があります。森の中に入ってきた人間に、サルが話しかけるんです。「お前たちは、何故、我々をあざ笑うのか。我々は、お前たちの先祖なんだぞ」と。すると、人間は「もし本当にお前たちが人間の先祖ならば、我々のような英雄がこの世に現れるはずがない。お前たちは毛が3本足りないから、自分たちと同じ人間にはなれないんだ。お前たちには家がないし、衣服を着ることも知らない。そして、美味しいものを食べたことがないだろう?」とサルに問いかけます。サルは「私たちの家は世界中の森で、私たちの毛皮は自然の衣服なんだ」と答え、さらに「自分たちには4つの手足がある。手で立つことも、足で物をつかむこともできるが、人間は2本の足で歩くことしかできない。昔は4本の足で歩いていたのだから、退化したのだ。人間の歴史は退化の歴史なんだ」と言う。それを聞いた人間が「この世界中の森の木を切ってしまって、お前たちの家をなくしてしまうぞ」と怒ると、サルは「ほうら、人間の最悪の思想を見せたな。人間が木を切り、川を埋めて作った平坦な道は、地獄の門に通じる道だ」と言うのです。まあ、こんな感じなのですが、この話の作者は石川啄木です(「林中の譚」)。サルの言葉には、啄木自身の思いが反映されています。明治のころ、既に自然破壊に対して危機感を持っていた。また人間は決して万物の霊長なのではないのだと言っているようで、とても感心しました。

 えー、それはさておき、今、クリスマスライブの準備に入っています。今回もノスタルジックで哀愁感のあるライブになればと考えています。是非、いらしてください。お待ちしています。

 それでは、ごきげんよう。

来生たかお


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