「’24. K-⑧」
アラン・ドロンさんが亡くなりました。
「太陽がいっぱい」を初めて観たとき、同性ではあるけれど、「なんて美しい人なんだろう」と羨望感を抱いたことを憶えています。そして、何度も観ているうちに(5~6回は観ている)、「この完全犯罪を成功させてあげたい」という感情が芽生えたりもしました。殺人犯なのに…
小生の年代でアラン・ドロン氏を知らない人は、まず、いないのではないでしょうか。これで、「太陽がいっぱい」の主役3人(モーリス・ロネ、マリー・ラフォネ、アラン・ドロン)が亡くなってしまったわけで、特別ファンではなかったけれど、なんとなく寂しいですね。ご冥福をお祈りします。
さて、ニュースでは、アラン・ドロン氏の死について「2019年に脳卒中で倒れて療養生活を続け、最後は家族に見守られながら静かに息を引き取った」と伝えていました。新聞やテレビなどのニュースでは、このように伝えられるのが常ですが、小生は、どうしても、その死に至るまでの状況・状態に思いを馳せてしまいます。作家の山田風太郎氏は、「あと千回の晩飯」というエッセイに、「人間、最後は70%以上が自分の排泄物の始末もできずに死を迎える。また、ほとんどの人間は痛み、苦しみをもって死に至る」と書いていました。また、「死は推理小説のラストのように、本人にとって最も意外な形でやってくる」とも書いていました。
人の死を、あれこれ詮索することは、よろしくないのかもしれないけれど、逆に、死というものは哀れで残酷なのだと知ることも大事なのではないか、とも思います。山田風太郎氏は、異彩を放った奇書「人間臨終図鑑」で文豪・佐藤春夫氏(1892-1964)の死を取り上げています。佐藤氏は、昭和39年5月6日、放送朝日のラジオ番組「一週間自叙伝」を自宅で録音している最中に心筋梗塞で亡くなりました。その死は、俗に言われる理想の死に方“ピンピンコロリ”ではあるけれど、番組を担当していた放送朝日の社員が語ったその様子から、短い時間ながら今まで体験したことのない苦しみを味わっていることが伝わってきます。また、佐藤氏の人柄や、死を目の当たりにした真面目そうな記者のことも想像できて、サスペンスタッチなところが、なんとも惹かれます。923人の死に際を記録した中でも、強く印象に残っている1つです。興味がある方は、是非、読んでみてください。
さてさて、少し間が空きましたが、8月31日(土)神戸朝日ホールからツアー再開です。気を引き締めて臨む所存ですので、よろしく。皆さんも、お元気で過ごされますよう願っています。
それでは、今回はこのあたりで。ご機嫌よう。
8月末日 来生たかお
追伸:アラン・ドロンの映画では、ほかに「太陽が知っている」、「地下室のメロディー」、「サムライ」なども好きですが、特に「地下室のメロディー」は良いですよ。お勧めします。